今年は例年より1ヶ月早い夏休みを取得。

というのも、4月の頭に、

もしかしたら夏に転勤するかもしれないという機運が沸き上がってきたからだ。

鹿児島勤務も夏で4年半。

そろそろ転勤適齢期を迎える我輩にとって、最も重要なのは,

夏休みをいつ取るか。
↑え?

例年8月の第一週に取ることにしているのだが、我輩の会社は異動日が7月の末日なのだ。

となると、転勤してすぐ休むことになってしまうし、

第一、異動した先で、「いきなり休みを下さい」と言えるほど、

我輩はサラリーマンを捨て切ってはいないのだ。

あぁ悲しきジャパニーズビジネスマンよ。

というわけで、7月第一週の夏休み取得を承認してもらった。

行き先はイースター島とクロアチア周辺国周遊の一騎討ち。

両者譲らずに何合も斬り合ったが、

いい加減にしとけと我輩が後ろからクロアチアを斬り捨て、イースター島へ行くことに決めた。

となれば、地球の裏まで行ってイースター島だけで帰ってくるなんてモッタイナイ。

だが、他も回るとなると、日数が足りない。

そこで、4月のハードネゴシエーションを取りまとめることを条件に、

通常の夏休みである5連休プラス2日を獲得。

早速HISにお願いし、イースター島からパタゴニアを回って、

アルゼンチンから帰ってくるという南米半周ルートを予約した。

その後、管理職から

「アレやらないとやっぱり追加の休みはダメ」

「コレもやってくれないと・・・」

と卑劣な追加の後出しジャンケンを言い付けられ、

イライラしながらも全て解決。

6月の数字を完璧にやり切って、堂々とお休みを頂くことになったのだった。
↑まぁやったのは部下たちだが。課員たちよありがとう!

休みがかかった時の偽スナフキン課長は、まさに鬼神なのである。

そして我輩は思った。

あんだけやり切ったのだから、

多少飛行機が遅れて休みが延びることになっても、誰も文句は言えないだろうから、

却って気楽に行けるってもんよ。

さて、イースター島。

こんなにメジャーなのに、意外に今までで行き先選抜の上位にも上がってこなかったわけだが、

それには理由がある。

我輩が名古屋で働いていた、うら若き青年だった頃。

同じ課にいた女性が言った。

「イースター島のモアイって、日本の企業が倒れてたのを起こしたんだよ」

いやそれは聞きたくなかったわ。

我輩は、手垢の着いた遺産が好きではない。

崩れてしまったものはそのままにしておくべき、という人間だ。

しかし。

年をとって我輩も大人になった。

というか、エジプトのピラミッドがそうだったように、

実際に見てみないと、どんなもんか分からないではないか。

もしかしたらトンデモナク感動するかもしれない。

そこで、自ら赴き、ジャッジすることに決めたのだった。











1 Jul -

見事にやり終えた第一四半期が明けて初日。

連日課員の昇格祝いで酒を飲んでしまって、

結局バタバタと準備をしたままのスーツケースをVSにぶちこんで空港へ急ぐ。

途中でアメリカ入国に必要なESTAの申請をやってないことを思い出し肝を冷やしたが、

幸い昨年取得したESTAがまだ有効期限内だった。

ぶふー。

多分我輩のパスポートで取得済みだってことを

HIS側では認識済みだったから案内はなかったのだろうが、

随分と冷や汗をかいたぜ!!

ラッキーにも安い空港駐車場が空いていたので停めて荷物をまとめ直してからロビーへ向かう。

奄美への出張が多くなったせいで、

最近空港へはギリギリにしか着かない我輩にしては、非常に早い到着であった。

そして前回のフェロー諸島旅行の反省を生かすべく、

スーツケースのタイヤが外れないか、用心に用心を重ねてスーツを引いてチェックイン。

もしかしたらもう鹿児島空港から出発する大冒険はコレが最後かもしれないと思い、

トンカツ定食を食って

空港のデッキや展示室をしみじみと眺めた

そして19:40発のJAL便で羽田へ。

夏の旅行は常に台風や大雨で遅延してしまうリスクがある中、

何事もなく出発できることは何よりの喜びなのであった。

羽田までの機内では予定外に爆睡してしまった。

羽田からは、まずは25:00発のロサンゼルス行きに乗る。

搭乗直前にチケットの再発券を求められて若干イラついたが、こんなのは序章であった。

よっしゃ行くぜヒアウィゴーをやるまでもなく爆睡してしまった我輩の席は通路側。

窓側には老夫婦が乗り込んできたのだが、

日頃の激務に疲れてぐっすり休む我輩を何度も起こして便所へ行きやがる。

この頻尿野郎ども!!

だったら通路側に座っとれ!!

それにしてもあまりにも眠れるので寝まくってしまったが、

時差の関係もあるし、あまりに寝るとロスの夜に眠れなくなるので、

最後に起こされてからは根性で起きた。

ジャパニーズビジネスマンは、かように疲れているのである。

もっと世の人々には労って欲しいわ。

19:00少し前にロサンゼルスに到着。

いつも苦戦させられる入国審査も、APCのパスポートコントロールでサックリ入国。

荷物もかなり早く出てきた。

これは良いぞ!

では、翌14:00にチリのサンティアゴへ発つまでの観光を楽しまねばならん。

で、調べたところ、ロサンゼルスはかなり広い範囲に観光地が点在しており、

しかも公共交通機関では時間がかかりすぎる。

ホテルまでも距離があって、タクシーだと片道50ドルはかかりそう。

となれば、レンタカーだ。

メールで指示された通り紫色のマークのレンタカーシャトル乗り場からバスに乗り、Hertzへ。

しかしここからがアカンかった。

大量にある窓口は5つしか開いてない。

おかげで乗り出すまでに1時間以上かかってしまい、

グリフィス天文台の開館時間(22:00)には間に合わなくなってしまった。

まぁ良いや、行くか。

フェロー諸島でのロングドライブがまだ体に残っているのか、

左ハンドル右側通行も容易く行けるぜ!

市街地をスイスイと抜けて、

ハリウッドブールバールにあるモーテルに到着したのは22:00を少し過ぎた頃だった。

さて、今夜はもう寝るだけと言いたいところだが、行ってみたいレストランがある。

歩いては行けないので飲めないが、行ってみたいのだから仕方ない。

必要な荷物・・・というかカメラだけを持って車に乗り、サンセットブールバールを西へ。

夜のメインストリートだろうから、道が混みまくっているのを想像していたのだが、スイスイであった。

目的地のRAINBOW Bar & Grillの駐車場に停め、座席代を払って中へ。

こんな感じのバーである。

所狭しとロッカー達の写真が飾られている。

別に腹は減ってないし、

頼んだらビックリサイズのものばかり出てくることは容易に想像できたわけではあっても、

せっかく来たのだから何か食うかとピザをオーダーしたら、

やっぱりビックリサイズのピザが出てきて死んだ。

最後の一切れだけがどうしても食えず、パッキングしてもらっても冷えたのは食えないので残してチェック。

我輩はロックバンドってオフスプリングぐらいしか知らないけど来て良かったわ。

ホテルに戻り、ケータイの充電をしようと思ったら・・・コンセントに繋ぐアダプターがない!

コレはアカンやんけ!

空港に行けば間違いなく売ってはいるだろうけど、我輩には必要なんだ!

仕方なくもう一度車に乗ってセブンイレブンへ。

さすがに深夜のコンビニの駐車場にはなかなかの奴らがたむろしている。

目を合わさずに、サッとお買い物をして退散。

USD27.2。

クッソー高くついたぜ!!

しかしながら、心配事はとにかく抹殺していかねばな。

心置きなく充電を開始し、

LA在住の高校の同級生に一応Facebookで連絡だけして、お眠りすることにした。

久しぶりにお会いできるならしておきたいところだが、果たして?

Zzz・・・

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第一話 LA 第二話 54ヶ国目 チリ

第三話 星を見る島(経験値949)  第四話 ハワイキを探して(経験値484)

第五話 エル・パソ(経験値1040)  第六話 トーレス・デル・パイネ

第七話 意外と危険ブエノスアイレス

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