- 31 Dec

3:30起床。

頭痛はしない。

サンキュー、ダイアモックス。

2018年最後の日。

ウユニの町からはウユニ塩湖の朝日ツアーがあるらしい。

10:00までヒマすぎるので、町へ出て、

飛び入りで参加をしみようかと思ったが、ホテルの入口に誰もいない。

クロアチアのホテルのように、勝手に出たとして、入れなくなると困る。
↑昨夜もノックにノックを重ねて、やっと入れた。

朝まで待機やむなしか。

このホテルは2階にテラスがあって、空が見える。

我輩が参加しない朝日ツアーなんて、晴れたらシバく。

暇だったこともあり、度々空を見に行っては、

曇っていることを確認し、

満足げに頷いたのであった。

いや待て、我輩が出る時は晴れろよ!

日本のニュースを詠みながら、

ダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラと過ごし、

ただでさえ時間がないのに何やってんだと、

いやしかし、空は曇ってるしどうしようもないんだと、

自分と自分が心の中で戦うのを傍目に見ながら、

ただ時が過ぎるのを待った。

大金叩いてきてここまで来て、紅白のクソニュース読むとか、何やってんだ一体。

8:00、そろそろ外に出てもよかろうと、町に出てみる。

ウユニの町は小さく、路地は雨が溜まってデカイ水溜まりが出来てて歩きにくい。

別に見るべき所があるわけではないので、駅へ行ってみる。

深夜、夜行列車が来たらしい。

撮りに来れば良かったな。

機関車が動いているのを撮ったりして、ホテルへ戻りかけると、

塩湖の方角が晴れている。

うをマジか!

今すぐ・・・今すぐ行こうぜ!!

もう今すぐ行きたい気持ちを抑えつつ、10:00を待ち、出発。

「色んな行程があって、ルートも決まってるのは分かってる。
それは分かってるんだが、塩湖撮影ファーストでお願いしたい」

旨を申し出たところ、寄り道はコンパクトにしてもらうことになった。

まずは、列車の墓場とやらへ。

ほほう。

近年、鉄道風景写真家として大きく舵を切った我輩からすると、

興味深いではないか。

ウユニの町から近い所、砂漠のような砂地に、

かつての蒸気機関車が、部品を取り去られ、放置されて、錆びている。


まるで宇宙の片隅というか、銀河鉄道999に出てきそうな所だ。

こんな所があるんだな。

アイスランドで、親友M2氏と延々闇夜を歩いたプレーンレックよりも見栄えして、

規模が大きく、とても全部は見られない。

ここはもっと有名になっても良いんじゃないだろうか。

それこそ「映えまくり」だと思うんだがな。


↑この機関車の所へ行くのかどうかでメチャクチャ迷って行かなかった。

長く心残りになりそうだ。

我輩が行程をコンパクト化してもらったのに、スッカリ長居してしまったぜ。

続いて、塩湖の近くにあるコルチャニ村。

塩を作って暮らしているそうだ。

塩の出所は、もちろん塩湖。

塩湖で水を採ってきて、乾かして塩にして売る。

しかも、海と同じで、塩はいくらでも採れる。

結構楽チンな暮らしに思えてしまうのは、

それ以上の何かを知らないからだろう。

塩を生成してる工場・・・というより作業場を見せてもらって、土産に塩を買い、素早く撤退。

塩湖へ。

まだ晴れているが、四方八方、雨降りが見えている。

今のうちに何とかしたい。

さぁ早く行こうぜ!

もとい、連れてってくれ!!

昼間になってみると、塩湖のデカさが分かる。

四国の半分ほどもあるらしい。

ランクルはどんどんと、道無き道を走っていく。

↑塩の上をどんどん走っていく。

雨が降る前に撮りたい!ってことで、

まずは水鏡に撮れる場所へ向かってもらう。

途中、水がそこそこに張ってて、良い感じの所はあったが、ランクルはさらに走る。

すると、また水の量が減ってきた。

「水鏡が見れるかどうかはドライバーの腕次第」ということらしい。

まさかキミ、路頭に迷って走ってないよね??

今撮れるうちに撮っておかないと、

雨が降って撮れなくなるとか、無いよね??

心配になってきた我輩は、ついつい無口モードに突入してしまった。




























そして、しばらく。

水がガッツリ張ってて、まるで異世界のような所にたどり着いた。

周りには他の観光客もおらず、ほとんど無風で、静まり返っている。

四方で雨が降っているのに、ここだけが青空。

信じられない絶景だ。

ドライバーさん、我輩は君の腕を信じていたよ!!!

あまりの眺めに、しばらくは写真も撮らず、見入ってしまった。

アメイジング・・・。

アメイジング・ウユニ!!!

最近、ウユニのように撮れると、香川や茨城や、

我輩も熊本でコレがウユニ的な眺めかと思ったものだが、全ッ然違う。

レベル違い過ぎ。

真っ白く敷き詰まった塩の上に水が張って、青空と雲が写り込む。

千里浜なぎさドライブウェーに水を張ったって、こんな風にはならないぜ!!

そして、そんな絶景の中で、ランチ。

ランチですよ。

ここで。

我輩は、世界各地でメシを食ってきた。

まぁ世界のが多いのは置いといて、

このランチは、かつて無い思い出となった。

その後、かなりの時間を割いてもらい、この世界の中にいた。


↑遥か遠くを車列が行く。

石川ガイドが、ここでガイドとしてやっていきたくなるのも分かるわ。

毎日違う景色が見られる点では、

我輩が毎週毎週、桜島に通ったのと似ているのかもしれない。

そうじゃないかもしれない。

それぐらい桜島も凄いんだぜ!

アマゾンKindleの写真集「桜島」買えるうちによろしく!

さて、じっくり撮ってから、

道すがら、ドライバーのかけてた曲が「エルコンドルパサー」になった。

不覚にも、少しこみ上げるものがあったぜ。

この景色に、何て馴染むものかね。

雄大にコンドルが飛び去る様が見えるようだったわ。

ま、ここにコンドルはいないけどな。

少し走って、塩の結晶を採ってくれるという。

道々に開いた穴から、採り出してもらった塩の結晶は、

とても美しく、コレはオブジェに良いぞ!ってなゴージャス感だ。

さらに戻り、プラヤ・ブランカというかつての塩のホテルをササッと見学。

この辺りまで来ると、そこかしこに写真を撮ってるグループが見える。

もっと奥まで行けば良いのに。

と、思いつつ、我輩も混載ツアーだったら、ここで延々写真を撮らされたのかと思った。

みなさんが撮っているのは、塩湖というよりは、トリック写真。

ピサの斜塔を支えているかのように撮ってる写真、見たことある?

アレだ。

我輩も、ピサでは「念のため」やっといた方が良いのかなーと、

独りトリック写真をやったことはあるが、

あれを群れてやらされるなんて、絶対無理。

あの中にも、塩湖の絶景を撮りに来たのに、

何でこんな写真撮ってんだろうと悲しくなってる奴がいるに違いない。

はー、我輩は高くてもチャーターにして良かったぜ、

と、ほくそ笑んでいたところ。

ランクルが止まった。

どうやら、我輩は独りでも撮るらしい。

あんな絶景を見せてくれたドライバーがやる気になって小道具出してんのに、

「オレはやらないよ」なんて言うほど、メチャクチャな人間じゃないんだぜ。

何枚も撮りに撮った。

我輩だって、やれば出来るんだよね。

完璧にトリック写真をやり切った。

やり切ってみると、へー、こんな感じになるのか、って感じだった。

鉄道風景写真に生かせないものかね。

最後に水鏡の場所があり、もう一度だけ時間をもらって撮影し、ウユニ塩湖を後にした。


↑何か入れて撮らないと、リフレクションだけではダメね。

あと1日あれば、夕日にもチャレンジできたのに。

ただ、もう1日あったとして、

それまで何をするかと言われると、

また同じ昼の時間を過ごしてしまいそうなので、そこは考えどころだ。

ということは、この「1日」を得たことを喜ばねばなるまい。

星空と夕日は、また何かの機会に。

チャオ、塩湖。

そして、空港にて石川ガイドやドライバーともお別れ。

・・・の前に。

ハイウェイの左手を、何だか小さな貨物列車のようなトロッコが走っている。

朝、駅で見たヤツか!

停めてもらって、ウユニ撮り鉄も完了。

コレ、なかなかレアカットじゃね!?

と、盛り上がってしまって、塩の結晶をランクルに忘れてきてしまった。(T_T)

写真も撮ってないんだぜ!

ぐっすん。

きっと何かの機会に回収しなければならないな。

ラパスの撮影に備えてユニクロダウンを着込み、

しばらく待ってからチェックイン。

ここでようやく日本人グループを見た。

若くて喧しいヤツらだった。

あんなのと群れるツアーじゃなくて、本当に良かったわ。

定刻よりも早く、20:15に離陸。

少しだけウユニの町を見てから爆睡。

21:15、ラパス着。

今夜のガイド、森塩君に合流。

我輩より10歳ほど若く見える。

我輩のヘッタクソな英語にもキチンと会話してくれるナイスガイ。

悪漢とも戦えるかもしれない。

コレは良いぞ!

早速、昨日のポイントで夜景撮影したい旨を伝えると、オッケイになった。

激混みの車列を抜けて、昨日の場所で停めてもらう。

まるで電飾を散りばめたようなすり鉢。

コレは美しいだろ。

何枚も撮った。

さて、ホテルには22:17着。

1時間だけ滞在して、23:17にはミラドール・キリキリへ向かう。

この滞在にホテルが必要だったのか?

車で寝てりゃ済むのに。

何のためのホテルなのかよく分かんないプランだ。

とりあえず休んで、即出発。

眠いぞ。

ミラドール・キリキリに行ってみると、

現地の人々が集まっていて、軽くニューイヤーパーティーの様相を呈しているではないか。

閑散としてて危なかったらヤバいと思ってたのに、コレは嬉しい誤算だ。

三脚を据えていると、

森塩君は、ワイングラスとチョコレートをセッティングしてくれている。

え、マジで?

「小さなパーティーをしようと思って」

何て良いヤツなんだキミは。

我輩は嬉しいぞ!

そして、新年が迫るにつれ、街からは小さく花火が上がっていく。

周りのパーティーも盛り上がり気味。

森塩「この街にずっと住んでいるけど、初めて来た。こんなの知らなかった。
                 キミはオレに新しい経験をくれた。本当にありがとう」

偽「え、来たことないの???じゃあ来年はガールフレンドと来ないとね」

森塩「ありがとう。でも、今年は新しい友達、偽スナフキンと来れてハッピーだ!」

偽「ミートゥーだぜ、心の友よ!」

ハッピーニューイヤー!!

サルー!

サルー!!

サッルルルルゥゥゥウウウ!!
↑スペイン語で「乾杯」の意味。

と、ワインの杯を重ねまくりながら、写真を撮った。

撮ったというか、連写で放置。

森塩君とのニューイヤーパーティーを楽しんだ。

コレだな。

森塩君然り、石川ガイド然り、この一期一会のために、ボリビアへ来たようなものだ。

ニューイヤーの写真の仕上がりは、あまり気にならなかった。

それにしても、鹿児島で酒が飲めるようになったのは大きいなぁ。

鹿児島焼酎に感謝だ。

2人でワインを一本空けた。

かつての我輩は、乾杯のビールが最後まで残ってる人だったのよ?

お酒もたしなめるようになると、楽しいね。

さて、長く展望台にいて、みんなが帰り始めたので、我々も撤退。

空港へ。

一緒に並んでチェックインし、固くシェイクハンズをしてグッバイ。

こんなに楽しい年越しは、人生で初めてだ。

二度と忘れまい。

出国審査を受けた後、ロビーで待機。

何しろリマまでの便は4:40発。

結構ある。

そして、ロビーにいる間に、

最強にワインが回ってきた。

「コレはあんまり強くなくて、甘いから良いんだ」 って森塩君が言ってたけど、飲み過ぎたか。

コレはイカン・・・。

目の前がクラクラする。

慌てて水を買い、ガブガブ飲んで待機。

機内に入ると、さらに気分が悪くなり、

コレは揺れるとマジヤバいかも、というぐらい長く酔ったが、

根性で吐かなかった。

ヤレヤレ。
















- 1 Jan

リマには6:00少し前に到着。

酔いも醒め、ドライバーに連れられ、ホテルへ。

今夜は25:20の便。

ボリビアは、行きも帰りも乗り継ぎが不便だ。

ホテルの部屋は午後からしか使えないというので、

市内観光が始まる9:00まで、ホテルの庭で待機。

眠るわけにもいかず、ウトウトとしんどい時間だった。

市内観光も、チャーター車。

リマでタクシーを拾って、勝手に見て回るか、非常に悩んだ。

この市内観光、メチャクチャに高いのだ。

たかだか3時間なのに、何でこんな値段設定なのか、サッパリ分からん。

ホテルで適当にホテルをチャーターして、

リオの時のように、適当に観光してもらおうかと迷いに迷った。

しかし、我輩の背中には、高額なカメラ機材があるわけで、

外れのタクシーを引いたら、大変なことになる。

カメラは良いとしても、データは困る。

仕方なくチャーター車をオーダーしてきたのだった。

日本語ガイドに連れられ、ワゴン車は我輩だけを乗せて、走り出す。

我輩の依頼は1つ。

サンフランシスコ修道院の地下墓地ツアーに参加したい。

コレだけ。

あとは適当によろしくってことで。

リマは大都会で、そこまで見るところがあるわけではないからな。

さて、リマ。

近年土地がバブっているらしい。

さらに10年前に比べると、200万人は増えている、とのこと。

田舎から出てきて、郊外に不法に住む人もかなりいるらしい。

20年前は、我輩が行きたいセントロ(旧市街)は歩けないぐらい危なかったようだ。

近年、かなり安全にはなったらしいが、

10年前に来た時、我輩の乗る車に唾を吐いたり、ドアを叩きながら歩く人がいたりと、

旧市街の辺りは、あまり良い印象はなかった。

そこからすると、家族連れが歩いてるし、見える景色は変わっている。

ガイドがいるってこともあるが、かなり安全になってきているのは事実のようだ。

サン・マルティン広場からアルマス広場まで歩く。


↑地方から来た人々が練り歩いていた。

セントロの中心地だが、元旦ってことで、ほとんどの店が閉まっていて、

家族連れがいるとしても、やっぱり何となく閑散としているのは、おっかない。

アルマス広場から少し入ったところに、サンフランシスコ修道院がある。


↑前回は雨。今回は曇り。うーむ。

前回、「ここへ自分で来たい」と言ったら、

「危ないから連れて行ってあげる」と連れてきてもらった所だ。

懐かしい。

地下墓地のガイドツアーは正月でお休み。

残念だったが、仕方ない。

あとはブラブラ歩いてホテルに戻った。

ぬぅん、コレでウン万円かよ。

しかも安い方のウン万円じゃないんだぜ。

高過ぎな感は拭えないね。

ホテルの近くにある、ショッピングモール、ラルコ・マルへ行って、昼飯。

ペルーの食の世界遺産「セビーチェ」と、

エビのスープをオーダー。

セビーチェは、我輩の舌には合わなかった。

オイリーなマリネなんだが、ウーン、としかいえない。

空腹に食うものではなかったかもしれない。

胸焼けが酷かった。

おかげで、エビのスープは好きな味だったのに、全部食えなかった。

パクチー、我輩はそんなに苦手じゃないんだけどねぇ・・・。

無念だ。

インカ四千年の味、

インカコーラを買ってホテルに戻り、

さすがの眠気にダウン。

起きたら19:30だった。

22:00にはドライバーが迎えにくる。

このまま寝てるのは惜しいので、シャワーを浴びて、外へ。

ラルコ・マルには食いたいものがなくて、

教えてもらったサンドイッチ屋「ラルーチャ」へ行ってみる。

コレが美味い。

ジューシーなハンバーガーだ。

ポテトも肉厚で美味い。

しかし、何故か胸焼けが治まらず、ポテトはだいぶ残してしまった。

これも老いなのか。

寄る年波には勝てない偽スナフキンである。

時間より早く来たドライバーを待たせて空港へ行き、帰国の途についたのだった。

・・・そして、ここからがしんどかった。

我輩は、長く飛行機に乗ったって別に何とも思わないのが強みなんだが、

リマ→ロスの約9時間は、とてつもなく長く感じた。

何度時計を見ても時間が過ぎないのだよ。

そして、ロサンゼルスでは、ESTAの信じられない長蛇に巻き込まれ、

2時間半も並ばされ、

4時間半の乗り継ぎが、ギリギリになってしまった。

チェックインカウンターが片付けられ始めていて、かなり焦ったわ。

あの列は、もっと何とか出来るんじゃないのか?

アメリカの尊大な姿勢を見せつけられた感じで、とてもしんどかった。

そして、ロス→関空は、阿呆な夫人が前に座っていて、

全開にリクライニングを倒すのだ。

足を挟まれて最強痛かったので、偽スナフキン大激怒。

「あら申し訳ありません。席を倒させていただいても良いですかぁ?」

なーんてそれでももう一度リクライニングを全開に倒すあたり、

世間知らず過ぎる。

横の子供も然りだ。

そんな乗り方がしたいなら、ビジネスへ行かんかクソタワケ。

旦那が全く知らん顔をしていたのには苦笑した。

ま、最後の最後で不愉快な思いをしたのはおいといて。

旅としては、叩いた大枚は回収したぜ。

楽しかった。

ウユニのランチと、ラパスのニューイヤーパーティーは、一生忘れまい。

さ、次は、と。

<完>

戻る  旅行記選択ページへ

行程表を見る

第一話 まずはリマへ・・・ 第二話 丸二日かかってウユニ

第三話 ニューイヤーパーリー

旅行記選択ページへ  TOPへ