- 6 Aug
6:00起床。 顔を洗って、久々にホテルのまともな朝食を食う。 今日は昼からアウシュヴィッツ強制収容所を見に行くので、 それまで街並み観光だ。 そして今夜は夜行列車でポーランド北部にある町へ移動する。 なので、朝チェックアウトをしてしまわねばならない。 こういう移動を伴う夜を跨ぐ時に、 何がめんどくさいって、トイレなんですよね。 手ぶらなら何とでもなるのだが、我輩の場合はスーツケースも激重リュックもカメラもある。 放置してトイレには行けないし、一緒に入ることもできない。 荷物を見ててくれる同行者もいない。 どこを拠点に動くのかはとても重要な点になるのだ。 まずは駅に行って、 アウシュヴィッツがあるオシフィエンチムまでのバスのチケットを買いに行く。 1時間に3本ほどあるらしい。 14:00からのツアーなので、11:00のバスを予約した。 ついでなので、駅で撮り鉄。 ポーランド国鉄が誇る特急ペンドリーノがやってきそうだったので、 ホームで待機して駅撮り。 くっそー、どこで撮っても上手く撮れないな。 ホームへ戻って、適当にパチパチ撮っていたら、 運転席の窓が開いて、運転手が顔を出した。 「写真を撮ったらメールで送ってよ」 的なことを言われて、メールアドレスをもらった。 コレはチャンス、と思い、 カメラを渡して「運転席からの眺めを撮ってくれ」 とお願い。 一旦は受け取ってくれたものの、やっぱり撮れない、と返された。 まぁそうだよね。(苦笑) 町へ戻り、ホテルをチェックアウト。 荷物を預けて、まずは旧市街にある教会の鐘楼へ上るべく、 チケットオフィスに行ったら、10:00までのチケットは売り切れ。 というか、30分に一度、15人くらいしか入れない。 そんなバカな。 「1人ぐらい何とかしてくれ」 と言ってみるが、 頑固一徹な爺さんは、「昼過ぎに来い」 と譲ってくれなかった。 チッ。 ダメなものは仕方ない。 旧市街の南にあるヴァヴェル城を軽くチラ見して、バス乗り場へ。
オシフィエンチムまでのバスは、バスというかバン。 しかもエアコンが無く、人が満載の車内は、暑くてイラついた。 それでも立っている人に比べればマシなのだけども。 オシフィエンチムまでは2時間弱。 アウシュヴィッツの近くに到着した。 日本ではアウシュヴィッツ強制収容所、と言われる事が多いが、 アウシュヴィッツとビルケナウ、モノヴィッツの3ヶ所に別れている。 強制収容所へ列車の線路が敷かれている写真を どこかでは見たことがあるかもしれないけれども、 あれはアウシュヴィッツではなくビルケナウで、 連行された人々が、着いてすぐにガス室へ連行されたのも、 ビルケナウの話が大半だろう。
アウシュヴィッツはツアーのみ見学可。 ビルケナウは自由に見学できるようになっている。 ツアーまで時間があったので、先にビルケナウを見学。 収容されていた建物の中を自由に見学できたりする。 正直、思っていたより狭い。 もっと見渡す限りの収容所なのかと思っていた。 いや、見渡す限りではあるのだが、 もっと地平の果てまで広がっているのかと思っていた。 きっと、この空間に、想像以上の人々が押し込まれていたのだろう。 思うところの多い、まさに負の遺産だ。 アウシュヴィッツへ戻り、ツアーは英語ツアーに参加。 イヤホンを持って、説明を聞きながら入っていく。 まず我々を迎えるのは、「ARBEIT MACHT FREI」の入口。 よくARBEITのBは逆さに膨らんでいるので、 せめてもの抵抗を示した的なことが書かれているが、 この頃の流行文字だという話に納得がいった。 この施設へ送り込まれた人々に、 そんな抵抗をする余裕なんて無かったのではないかと思う。 ちなみに、数年前に、オリジナルは盗まれてバラバラに分解されるという 信じがたい事件があって以降、我々が目にできるのはレプリカだ。 よくそんな事ができるものだと思う。 鉄条網を抜けると、 中の施設は、さながら大学のキャンパスを思わせる、 整然としたレンガ造りの建物が並ぶ。 鉄条網が無ければ、ここが強制収容所だとは思わないだろう。 しかし中で展示されている物は、凄惨だ。 最初の建物で、アウシュヴィッツ強制収容所の歴史等を学ぶ。 何でここに作ったのか、我輩的には最大の謎だったのだが、 ここはヨーロッパのほとんど中心で、交通の便が良かったり、 鉱山があったりしたから、という理由らしい。 そんな説明そっちのけで、 我輩の目は、写真に釘付けになってしまっていた。 ハンガリーから移送されてきたユダヤの人々の写真だった。 鹿児島の特攻平和会館での話で書いたと思うが、 写真や映像というのは残酷だ。 特攻機が飛び込む映像が映る度、 その隊員は、何度でも死ぬ気がして仕方ない。 写真も同じで、これからガス室へ送り込まれるであろう人々も、 写真の中では生き続けている。 しかも、その死の、間際の瞬間で。 生きた証を遺していると思うのか、 それとも可哀想な瞬間が遺り続けると思うのかはそれぞれだと思うが、 我輩にとっては、後者の思いが強い。 そしてそれ以外に、不覚にも、 画角的に、これは上手く撮ってるなぁと思ってしまったり、 とにかく今まで見てきた資料館とは、思わせるモノが段違いではあった。 次の建物では、ドイツ軍が人々から接収した所持品の山が展示されていた。 カバン、靴、メガネ・・・そして女性の髪。 この髪で織物を織ったというのだから、 それを見たときの不愉快さたるや、筆舌に尽くしがたい。 その他、処刑が行われた壁や、ガス室を見学した。 これで終わりかとおもったら、ビルケナウも案内してくれるらしい。 集合時間を聞いて、一旦解散。 ジュースを飲み、バスに乗ってビルケナウへ行き、入口の写真を撮る。 人が多くてなかなか上手く撮れなかったが、とりあえずは頑張った。 これも、負の撮り鉄といえよう。 しかし、いつになったら続きが始まるのだ。 待っても待っても、誰も来ない。 かなり待って、ようやくガイドの姿が見えたので走っていったら、 今終わって出てきたところらしい。 マジカヨ!!!! 入口の所にある監視塔のようなところは、 ガイドがゲートを開けてくれないと入れない。 ギリギリで飛び込み、オレも見せてくれ!と言ったら、 「あなた私のツアーにいたかしら・・・」だって。 オレはあんたに時間を何度も聴いたハズだぞ! 全くヒドイ話だ。 とりあえず、上から俯瞰で見るにはツアーでないと入れないわけだから、 何とか入れてもらえて良かった。 先に見学しておいて良かったよ。 そのままバスに乗ってクラクフへ。 前述の通り、今夜は夜行列車で、北部にあるグダンスクという街へ行く。 夜行列車に乗るのは、エジプトでアスワンからカイロまでの旅路以来。 今や日本では相当のカネを投じなければ楽しめない夜の鉄路。 ワクワクするぜ! 最後の観光やらトイレやらを済ませて、 ホテルで荷物をピックアップし、駅へ。 乗る車両が分からなくて、駅員に聞きまくり、この駅から接続された個室寝台に乗車。
そう、日本のB寝台のように、3段ベッドの車両もあれば、個室もある。 我輩は、写真を撮りたくて、個室をチョイスした。 ちなみに料金は倍ほど違って、個室は一万二千円ほどした。 ま、手荷物の値段やリラックスには代え難い。 暗くなり始めた21:23、列車は定時にクラクフ中央駅を発車。 翌朝6:24までの旅路が始まったのだった。 Zzz・・・ |